2008年3月23日日曜日

Richard Smallwood

久しぶりにコレが書ける!

今日紹介のアーティストは最近私がず~~っと聴いてるCDの人。

リチャード・スモールウッド♪♪♪


世界レベルの作曲家であり、ピアニスト、編曲家である彼、リチャード・スモールウッドはゴスペル音楽の側面を明らかに変えたことで知られています。
その革新的な手法とは、伝統的なゴスペル音楽にクラシック音楽を合わせたことで、多様なゴスペルを作り上げたのです。
そんなリチャード・スモールウッドの才能はドーヴ賞やステラー賞、グラミー賞といった賞を多数授与していることで証明済みだと思われます。


1948年、ジョージア州、アトランタ生まれのリチャードは、ボーカルとピアノの学位で優秀な成績を修め、またそれに加え、民族音楽学の研究でハワード大学を卒業しました。
彼の音楽の賜物は、幼くして頭角を出しました。
5歳で耳で音を聞きとってピアノを弾き始め、7歳の時に正式にレッスンを開始。
11歳で最初のゴスペルグループを結成しました。(最新アルバム Journeys: Live in New York で知ることができます。)

また、リチャードはゴスペル音楽における多くのを生み出しました。
ハワード大のキャンパス、セレスティール館初のゴスペルグループのメンバーで、そのグループが初めてスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演しました。
さらに、彼はハワード大、初のゴスペルクワイア設立メンバーの1人であり、リチャード・スモールウッド・シンガーズがソ連に行った最初のブラックゴスペル・クワイアだったのです。
彼は「ゴスペル音楽の革新家であり、作詞家」としてスミソニアン協会から名誉を受け、故郷のワシントンDCは「リチャード・スモールウッドの日」、また、「芸術的な訓練で精度と優秀」であるため、市長芸術賞を授与しました。
リチャードの賜物は、ワシントンDCの憲法ホール、スミソニアン協会、ケネディセンターとホワイトハウスといった最も名誉ある殿堂での活躍とともに、世界中の大統領や、高官、大臣がいる部屋で作りあげられました。

リチャードと彼の歌手はジェニファー・ホリデーが演じたゴスペルの伝説と呼ばれるマヘリア・ジャクソンの人生を基にしたミュージカル、「Sing Mahalia Sing」でツアーに出かけました。
それはABCテレビの「ライアンの希望」という番組のゲスト出演につながり、97年、ハワード大学から優秀業績賞を授与されています。

リチャード・スモールウッドのアルバム録音は1982年のアルバム、The Richard Smallwood Singersから始まります。
そのデビュー・アルバムは87週(約2年)もの間、ビルボード誌のゴスペルチャートに登場し、次のアルバム、Psalms はグラミー賞を受賞しました。
2年後、ビル・ガイザーとグロリア・ガイザーそしてリチャードが共同作曲したクラシカルな曲"Center Of My Joy"を収録したアルバム、Textures は他の賞にノミネートされました。
リチャードはVision [Analog], Portrait [Analog], Testimony といったCDプロジェクトで連続してグラミー賞にノミネートされています。
彼は成功の頂点に昇りつめ、クインシー・ジョーンズのゴスペル・プロジェクト ヘンデルのメサイア 〜 ソウルフル・セレブレーション ではリチャード制作により、グラミー賞とドーヴ賞を受賞しました。
彼は決して芸術的なジャンルに制限をおきませんでした。
彼の曲"I Love The Lord"は映画、天使の贈りもの でホイットニー・ヒューストンが歌い、この曲はR&Bアーティスト、ボーイズⅡメンのアルバム、Evolution に収録されている"Dear God"でも使われています。
また、リチャードの曲というのはデスティニーズ・チャイルドや、ヨランダ・アダムス、カレン・クラーク・シアードといったアーティストのアルバムにも収録されています。
リチャードはレーガン大統領の政権時、伝説的なオペラ歌手、レオンタイン・プライスに同行し、ホワイトハウス・クリスマス・セレブレーションに参加していました。
リチャードは現在のグループ、ヴィジョン(ワシントンDC地域の才能ある音楽担当者たちが集まったクワイア・グループ)とともに、ヴェリティ・レコード社からメガ・ヒットした"Total Praise"や、クリスマス・アルバム、Rejoice, Healing: Live in Detroit そして、Persuaded: Live in D.C. といった4枚のアルバムをレコーディングし、それらはグラミー賞にノミネート、ステラー賞では複数の賞を受賞しています。

彼の活躍は音楽だけに限りません。
2003年、神の言葉を伝えたいという祈りの元、牧師の免許を取得。
翌年5月にはハワード大の名門神学校で修士科を優秀な成績で卒業し、6月に聖職を授かりました。
2005年6月、リチャードとヴィジョンは、絶賛の批評があるマクドナルド・ゴスペルフェスト(ニューヨークで有名なゴスペルフェスティバル)開催中、マジソン・スクエア・ガーデンでアレサ・フランクリンと3夜、ステージで共演しました。
また、2006年5月にはリッチモンド・ヴァージニア・セミナリー(という神学校)から宗教音楽の名誉博士号を授与され、11月、ついにゴスペル音楽の殿堂入りを果たししました。

2007年に発売された2枚組の最新アルバム、Journeys: Live in New York は全米ゴスペル音楽界で、高く評価され、チャカ・カーン、キム・バレル、ケリー・プライス、ホーキンス・ファミリー(エドウィン、ウォルター、トラメイン、リネット)といった伝説的なシンガーと、クラシックのアーティスト、ジャニス・チャンドラー=エテメ、オリジナル・スモールウッド・シンガーズとヴィジョンといったリチャード・スモールウッド音楽の新旧アーティストをゲストに迎えています。
そして特筆すべきことは、このアルバムはビルボード誌のゴスペルチャートで発売後すぐ1位になり、リチャードの音楽経歴で最高のものになりました
そんな素晴らしい功績を残し続けている彼は普段、ワシントンDCにある母教会、メトロポリタン・バプテスト教会で牧師(minister)として奉仕しているのです。


アルバムJourneys: Live in New York の詳細はまた次回紹介します…

2008年3月22日土曜日

Behold

(写真はイメージ。だけど、このアルバムでミシシッピ・マス・クワイアが好きになったんです♪)

日本語聖書の中で見よ という言葉が出てくるとき、英語の聖書ではBehold と書かれています。
BeholdとはLook Watch See Meetの 見る = 見えるものを指して「見る」ではなく、不思議なものを見るときに使う「見る」が使われているのです。
見えないものがどうして見える?
でも神様の目を通すときに見えるのです。
それは幽霊が見えるということではなく、聖霊であったり、悪霊であったり、預言であったり…

そして私はそれを見た…
2月17日の日曜日、KBFで賛美をしているとき。
その日は物凄く寒くて、曇り空。そして少し雪。
空が晴れてるはずはなかった。雲の隙間から光が見えるはずもなかった。
それもKBFという屋内に私はいる。
後半の賛美の途中、確かに見た。
雲と雲の隙間にまぶしいばかりの光。
その光の向こうには天使たちが大合唱している姿が。


そうなんだ!

私たちが地上で賛美するとき、天ではもっと凄い素晴らしい大合唱が起きてることを。
賛美するとき、私たちは嬉しいけど、神様はもっと嬉しいということ。

たまに祈りの中で今後が見えることがある。
でもいつもじゃない。
いつ現実に起きるかなんてわからない。
でも確かに起きる。確実に起こる。
周りの誰もわからないと思う。
でもそれが実際に起きるとき= 幻と現実がリンクする時、私にはわかる。

私以外でBeholdがわかる人(預言を見る人)が近くにいることがわかった。
同じKBFの中にいた。
私は祈りの中、そしてふとした瞬間に見えるけど、その人は夢の中。
それも私以上の頻度でその人は見ていた……


その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
ヨハネ1:29

彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」
黙示録 5:12

そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
黙示録 21:3~5

2008年3月19日水曜日

イースターを前に


最近ずっと、明日のホーム・パーティの準備をずっとしています。
その中で、ある人のためのサプライズを用意してるんです。
その用意の中心が私!
とってもワクワクドキドキ。
なんか通販で商品を買って、届いて箱を開けて中味を見るまでみたいなワクワクとドキドキの感覚♪

私、誰かに渡すプレゼントを考えたりするのが好きで、何をあげたらいいのかってアイデアは突然浮かんできたりします。
今回もそう♪
打ち合わせの話を電話でSちゃんとしていた時に、そっかぁ~!って感じ★。、::。.::・’゜☆。.::・’゜
今日、雨の中、そのために必要なものを買ってきたんだけど、なんかその時間がもう楽しい!
ただ喜んでくれる姿をみたい。それだけ。
相手が愛する人であろうが、友達だろうが関係ない
そして、やったら何か自分もしてもらえるなんて見返りは求めない

だって、ジーザスって復活という見返りを求めて、十字架にかかって死んだ訳じゃないから。
最初に見返り求めて、何かやるなんてキタナイよ~。
今日そんな話をある人とちょっとだけした。

最近、自分の最期のこともよく考えてて、殉死、殉教なら…って真剣に思う。
誰かのために自分の命を落とす
これで人生を全うできたって、最期の最後まで誰かのために生きられたって…
自分の知ってるありったけの愛を身体を張って伝えられたって思えるから。
やがて天国のゲートに着いたとき、よくやった!と言われて、その奥に通してもらえるなら、それで良い。

思い出すのはもう10年以上前の
1997年だったと思う。

キャンパス・クルセード(CCC)という宣教団体のニューライフ・ミニストリーで2週間滞在予定だった韓国人大学生のこと。
彼らの2週間の滞在期間で1日だけ、滞在中の学生全員と、受け入れチャーチのメンバーが集まって、京都の丸山公園で大イベントをした時のこと。
その年のイベントでは追悼式があって、その大学生のご両親が緊急来日してた。
その数日前にマンションにホームステイしてた大学生が窓から誰かをかばって死んだから。

そしてその2ヶ月後ぐらいに、私はソウルに1週間、韓国クリスチャンの殉教とリバイバルの歴史(日韓併合の植民地時代含めて)、ミッションについてを学ぶ研修に行った。
あの時、何を勉強したかなんて殆ど今、記憶にないけど私のこんな思いのルーツはそこにあるのかも

キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
ピリピ 2:8~11

今度の日曜日、23日はイースター。
復活を心から感謝し、喜びたい♪

2008年3月2日日曜日

バッハは「白髪の短髪」!デジタル復元で解析

18世紀のドイツ人作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハの顔をデジタル処理により復元したところ、これまで一般に親しまれてきたイメージとは異なる解析結果が明らかになった。
スコットランドの法医人類学者、キャロライン・ウィルキンソン氏がバッハの骨とCG模型を使い、顔を復元したところ、バッハは白髪の短髪で太った男性だったという結果が出た。

今回新たに復元されたデジタル画像は来月、バッハ生誕の地である独アイゼナハにあるバッハ博物館で公開される。

同博物館のマネジング・ディレクター、イエルク・ハンセン氏は、ロイターに対し「リアルな肖像画が無いので、多くの人々は、バッハはカツラをかぶった年老いた男性という固定観念を持っている」とコメント。
その上で「今回復元されたイメージから、われわれは、彼(バッハ)が踊ったり、演奏しながら足を踏み鳴らしたり、また歌うこともあった健康的で活力に満ちた男性であったのを知ることができる」と語った。

また、ハンセン氏は「彼がどんな容姿だったかはそれほど重要でなく、われわれは曲を通じてバッハが好きで、そのために人々は同博物館に足を運ぶのだが、同時に人々はバッハがどんな人間だったのかということにも興味を抱いている」とも述べた。

バッハの骨は1894年に掘り起こされ、1908年に胸像製作のため彫刻家らにより初めて利用された。

ちなみにバッハ(Bach)というのは、日本語に訳すと小川という意味だそうです。
なんだか日本人にとってとても親しみのある音楽家のような気がしませんか?

2008年3月1日土曜日

祈りと賛美 A Deeper Level

韓国のワーシップCDに、オンヌリ教会が出しているキョンベ ワ チャニャン(喜びと賛美)というシリーズがあります。
それに合わせて最近毎日聴いているこのCDを例えるとすれば、キド ワ チャニャン(祈りと賛美)でしょうか?
このCDつまり、A Deeper Level: Live とアーティスト、イスラエル・ホートンについては今までに何度か書いてきました。
ブラックゴスペルというよりも会衆賛美に近いし、音楽もポップスのテイストが随所に組み込まれ、少しヒップホップのテイスト(⑩ Surely Surely)もありますが、幅広いクリスチャンに受け入れられるタイプのアルバムだと思います。

今回、単純にゴスペルCDの紹介をするためだけに久しぶりにブログを書いているのではありません
このアルバムはテキサスのグレース・チャーチ・オブ・ハンブルでのレコーディング前に40日間の断食をして挑んだ意欲作
ジーザスも宣教を開始する前(山上の説教の前)に40日40夜の断食をしたことを思えば、40日の断食がどれほど大きな恵みをもたらしたかは聖書を読むとわかるでしょう。
アルバムが売れてビルボード・チャートでトップになりたい!

そんなアーティスト自身の欲のためのアルバムではないと思うのです。
もし隠れた思いでそんなものがあったとすれば、40日の断食は無駄なもの。
アルバムから感じるパワーも、よくよく聴けば影の部分が見えてくるはずです。
私は実際今まで何度も影の部分を見てきました。

見たくなくても知りたくなくてもわかってしまうのです。
(私の神様から与えられたギフトの一つと思って感謝しています♪)
でもこのアルバムからそんな欲は感じられません。
強烈に感じるのは主の臨在、溢れるばかりの祈りと賛美のパワー、聖霊の満たし、そして癒しです。
(結果としてアルバムは先日グラミー賞を受賞しました。)

全ての曲が祈り。(特に③ Prayers of The Righteous)
それはホモセクシャルやレズビアン、墜落してしまった人々の魂の救済であったり(⑩ Surely Surely)、自身がもっともっと満たされ(⑤ With Long Life他)、地の塩、世の光として福音を伝える者として用いられたい(④ Say So)という歌詞と、So Comeから始まり、You Are Not Forgottenで締めくくる曲順からもわかると思います。

最近、私の仕事はとてもハード。
出勤前の朝の準備の時間、帰宅後、ゆっくり聖書を開いて読み異言で祈る前にこのアルバムを流して賛美しています。
その溢れるばかりの賛美と祈りのパワーと臨在に涙することもしばしば。

もし塩気がなくなってしまえば、干からびてしまいます。
クリスチャンとはアロマポットに例えられると思います。
ポットは人。
水は癒しと信仰
。(サマリアの女の話に出てくる生ける水)
アロマオイルは聖霊。
そしてロウソクに火を灯し、時間が経つと部屋にアロマの香りが広がります。
その香りはジーザスの香り。
また、部屋を真っ暗にしてみると、見えるのはアロマポットのロウソクの光だけ。
その光はこの世を照らすまことの光。

ロウソクの火はいつしか消えてしまいますが、その火を消さないように、いつも深い深い基準(Deeper Level)で神様に近づいていたいのです。