2010年2月6日土曜日

약속(約束)

韓国が好きといいながら、韓国ネタを殆ど書いてなかったので、今日は書いてみようと思います。

4年前の今、私は梨大(イデ)の語学院に通っていたので、ソウルに住んでいました。
真冬のソウルはめちゃくちゃ寒くて、外に一歩出たら、すぐに白い息が出ます。
最近は日本も寒いというけど、夜でも白い息は出ません。あの寒さに比べたら暖かい。
とにかく寒かった。
外で撮った写真を見ると、殆ど寒さで私は猫背。(ーー;)

でもあの時、寒くて寒くて寒かったけど、ハートはめちゃくちゃ温かかったのです。
なのに、帰国後私は一度も韓国に行ってません。

あの時の私はすぐにまた韓国に戻ると信じてました。
ワールドカップ、ドイツ大会の頃にはきっと。
4年経った今だからようやく話せるのかもしれません。



私には大好きな人がいました。
彼とは渡韓する前年の秋にネットで知り合いました。
外国人と知り合う出会い系サイトというのがあって、そのサイトを通じて知り合ったのです。
最初、彼からメールを受けた時、この人!という感が私に走りました。
彼はイテウォンの近くにある米軍基地内で働く珍しい(言わばエリート)韓国人で、2歳年下でした。
そして映画「殺人の記憶」に出ている俳優、キム・サンギョンに少し似てました。^_^


語学院の授業も終了が近づき、帰国が目の前に迫った頃、私は授業中、考え事にふけっていました。
私が在籍していた中級クラスは私を含めても7人しかいなかったので、当然先生の目には全員がすぐに止まります。
授業中の言語は韓国語のみだったので、当然会話は全て韓国語です。


先生:ミホさん、どうしたのですか?

私:夢を見てるみたいです。
  日本に戻ったら、会社があって日常生活があるじゃないですか。
  だから、夢を見てるみたいです。(彼のことはヒミツでした)

先生:韓国の生活が夢というのですか?
    レポートも宿題も沢山あって、毎日大変でしょう。これが夢ですか?

私:……それでも夢を見てるみたいです……


確かに宿題は大変でした。
レポートも日本語でも難しいものを韓国語で書いていたので、授業は午前中しかなかったけど、お昼を食べ終わると、遊ぶ時間もなく、ひたすらレポートと大量の宿題と予習に明け暮れ、睡眠は毎日2~3時間。
授業は睡魔との闘いでした。
午後に遊んだのは週に2、3日。
デートしたり、友達と遊んだり、幸せの時間でした。
帰宅後はまた宿題・宿題・宿題で、地獄の日々でした。


先ほどの先生との会話をある日、彼に話しました。

じゃあ、ミホちゃんには韓国での夢を日本で現実にする人になってほしい。


彼とは色々あって、この言葉が別れの言葉になってしまいました。
ユーモアがあって、その中にやさしさと頭の良さが溢れていて、とても気が利く人。
喧嘩もしたけど、私が私らしくいられる人でした。
彼との出会いで私は沢山素晴らしいものを受けたように思います。
そして、最高の別れの言葉をもらったように思います。

今、私は、あの時の夢を現実にできているだろうか?

あの時の夢…
それは別れとともに散ってしまったけど、今の私は彼に会う会わない別にして、恥ずかしくない私?


別れの言葉が彼との約束の言葉に思えてならず、私にとって韓国は近くて遠い国になってしまいました。
それは何か目に見えない線が引かれているように思えてならず……
今はまだ簡単に行けない国なのです。




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