

今日(12月19日)は韓国大統領選挙の日。
この日を楽しみにしてきました。
日本と違って、平日に選挙というのが韓国らしいなあと思ったりして。
向こうは、デパートとかでなければ日曜日は休日の店が多い!
今回、第17代大統領選挙に当選したのは、ハンナラ党・李明博(イ・ミョンパク)氏。
屈曲の多い大韓民国の近・現代史とともに歩んできた人で、日帝植民地時代と独立、朝鮮戦争と自由化、軍事独裁政権と産業化、民主化と世界化に続く激動の波を乗り越え、その苦難と奇跡の李氏の歩みは「神話」とも言われている人物。
日帝占領下の1941年、大阪の平野区で生まれた李氏は、貧しさのため中学入学当時から露店商などで生活費と学費を稼ぎ、大学時代は、韓日会談反対闘争(6・3事態)の首謀者として西大門(ソデムン)刑務所に6か月服役。
(【明博・あきひろ】という日本人男性にある名前というだけで今回、日本人ではないか?と、DNA鑑定まで受けさせられています。鑑定の結果、純粋な韓国人ということが判明しましたが、こんなところにも反日+ウリナラ・サランの愛国心…(^^ゞ)
そんな暗闇人生が逆転するのは現代グループ創業者の故 鄭周永(チョン・ジュヨン)名誉会長に出会ってから。
日帝占領下の1941年、大阪の平野区で生まれた李氏は、貧しさのため中学入学当時から露店商などで生活費と学費を稼ぎ、大学時代は、韓日会談反対闘争(6・3事態)の首謀者として西大門(ソデムン)刑務所に6か月服役。
(【明博・あきひろ】という日本人男性にある名前というだけで今回、日本人ではないか?と、DNA鑑定まで受けさせられています。鑑定の結果、純粋な韓国人ということが判明しましたが、こんなところにも反日+ウリナラ・サランの愛国心…(^^ゞ)
そんな暗闇人生が逆転するのは現代グループ創業者の故 鄭周永(チョン・ジュヨン)名誉会長に出会ってから。
大学卒業後、現代建設に入社し、2年も経たずに代理に昇進。
29歳で理事、35歳で社長に上りつめ、その後最長寿CEO(最高責任者)という記録を築く。
サラリーマン神話と呼ばれるまでになったが92年、当時新韓国党代表でのちに大統領になる金泳三(キム・ヨンサム)氏から公認推薦を得て、第14代総選挙に出馬、政界に進出。
29歳で理事、35歳で社長に上りつめ、その後最長寿CEO(最高責任者)という記録を築く。
サラリーマン神話と呼ばれるまでになったが92年、当時新韓国党代表でのちに大統領になる金泳三(キム・ヨンサム)氏から公認推薦を得て、第14代総選挙に出馬、政界に進出。
しかし企業家の李氏に政治は生易しいものではなく95年、ソウル市長選出に向けた党内選挙に出馬したが敗北、翌年の総選挙には当選したものの選挙法違反で起訴され、この渦中の98年、再びソウル市長の党内選挙に挑んだものの選挙法違反の裁判が終わらず、議員職を辞して渡米した。
99年末に帰国後、当時は珍しかったネットバンキング事業を開始。
このときBBK疑惑の中心人物、金敬俊(キム・ギョンジュン)氏と会う。
意欲的に新たな事業を起こそうとしていた中で、金氏が金融当局の調査を受けたため李氏は事業関係を清算し、2002年3度目の挑戦でソウル市長に当選。
ソウル市長として4年の任期の間、ソウルの新名所を作った土に埋もれていた川、清渓川(チョンゲチョン)の復元、公共交通システムの改編、ソウルの森造成などで株を上げ、今年第17代大統領選に挑戦状を叩きつけた。
多数の反対を受けながらこれらを成功させたことで強力な推進力を市民に印象付け、保守政党所属でありながら「実践する改革者」というイメージを築き上げ、理念、年齢、階層、地域にかかわらず幅広い支持を受けた。
このときBBK疑惑の中心人物、金敬俊(キム・ギョンジュン)氏と会う。
意欲的に新たな事業を起こそうとしていた中で、金氏が金融当局の調査を受けたため李氏は事業関係を清算し、2002年3度目の挑戦でソウル市長に当選。
ソウル市長として4年の任期の間、ソウルの新名所を作った土に埋もれていた川、清渓川(チョンゲチョン)の復元、公共交通システムの改編、ソウルの森造成などで株を上げ、今年第17代大統領選に挑戦状を叩きつけた。
多数の反対を受けながらこれらを成功させたことで強力な推進力を市民に印象付け、保守政党所属でありながら「実践する改革者」というイメージを築き上げ、理念、年齢、階層、地域にかかわらず幅広い支持を受けた。
「経済大統領」「国家CEO」をスローガンに1年以上にわたり世論支持率トップを維持してきたが、青瓦台(大統領府)に向かう道は、その人生の逆転ほどに険しかった。
長くない政治経験に、栄誉と恥辱が混在していたのも事実で、政党史上最悪の激しい党内選挙と汎与党勢力との検証攻勢を耐え抜いたが、青瓦台(大統領府)の主となるには障害は大きいと指摘されてきた。
長くない政治経験に、栄誉と恥辱が混在していたのも事実で、政党史上最悪の激しい党内選挙と汎与党勢力との検証攻勢を耐え抜いたが、青瓦台(大統領府)の主となるには障害は大きいと指摘されてきた。
大韓民国のために身を投じて働く、5年間死ぬ覚悟で働きたいと叫んだ李氏はサラリーマン神話、清渓川神話に続き、大統領選神話を成し遂げた。
정말로 축하합니다~~.
これからの日韓関係をもっと良いものにされることを願って止みません。
これからの日韓関係をもっと良いものにされることを願って止みません。
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